生命保険物語=第15話=

=第15話=  これが「生命保険会社の招待旅行」?!

 350名もの大宴会となると、乾杯が終わるともう会場は戦乱の地みたいに人が入り乱れて大騒動。25人くらいの席が差し向かいで1列50人くらい舞台から7列も並んでいる。セーヌセンターから入賞した5人は金満部長と並んで2列目の舞台寄りにいたんだけど、中央の2列には100人くらいなんだけど若い男性ばかりが座っていた。少し異様。

 実は、宮崎支社長が品川支社に赴任してきた時は、男性は300人のうちの20数人しかいなかったらしいの。ところが支社長の号令で男性を中心に採用し始めて今では200名にもなり、そのほとんどが今度新設される目黒支社へ転属するという。今日の招待旅行は、品川支社での旅行招待の最後だという。

 しばらくすると嬌声やら怒声やらもううるさいったらありゃしないけど、その男性の中の誰かが「無礼講」と叫ぶと同時に一段と声高になるみたい。その内、ビール瓶やとっくりをもった男性が会場内をうろつき始めたの。わたしたちは小声で隣りどうしでお膳の料理を食べていたんだけど、もう声がかき消されてビールの酔いも手伝って30分もたった頃は結構大声で話していたの。

 「わかばさん、おめでとうございます。」
 と後ろからビールをもつ手が伸びてき、見ると若井支部長で、どうやらその男性部隊の出身らしい。とぎれとぎれに聞こえる話は、宮崎支社長のおかげで営業マンから支部を任される支部長に抜擢されたらしい。話をする最中にも「若井支部長さん、どうぞ」と後ろの男性が入れ替わり立ち替わりビールを注ぎに来る。中には、わたしやセーヌセンターのメンバーにも注ごうとする”輩”もいるの。

 その内、若井支部長を数人が囲んで「頂きます!」とか「感謝しています!」とか「今、僕があるのは若井支部長のおかげです!」などと、体育会系の雰囲気。これが”招待旅行”と、戸惑っていると、目の前に人御輿の宮崎取締役がビールを片手にあぐらをかいてきたの。それに気付いた若井支部長ははだけた浴衣を揃え、正座をしてうやうやしくお酌をしたの。
「おい、若井、調子良いようじゃないか。」
「いえいえ、まだまだです。」
「しかし、おまえも偉くなったなあ。俺に酌をさせに来るんだから」
 若井支部長の酔いがサッと覚めたように俯いている。輪を作っていた数人の男性も若井支部長に習い向きを宮崎取締役にむき直り、緊張気味の様子。
 後で強引さんに聞いたんだけど、どうやらセーヌセンターのメンバーのところ、特にわたしのところに若井支部長が来て話をしていることが、金満部長の気にさわったらしい。金満部長に耳打ちされた宮崎取締役がその後やってきたという。

「わかばさん?かね。久しぶりだねえ。」
エッエー、あの夜のぶつかったこと覚えていたのかしら。
「頑張ってるねえ。部長が偉い褒めてたよ。」
「い、いエッ、あのときは失礼しました。」
 もちろん、周囲はきょとんとしている。なぜわたしが宮崎取締役を知っているのか。

 そんなとき、急に宴会場が薄暗くなったの。
 司会がマイクを取って、
 「さあ、今日は品川支社最後の旅行です。そこで皆さんに特に目黒支社に行かれる将来の平成生命を背負ってたつ男性諸君に目の保養をしていただきます。あっ、もちろん女性の方も大歓迎で~す」

 そっ、そんな馬鹿な!わたしも酔ってはいたけどそれから繰り広げられた舞台の出来事は・・・。和服を着た女性が2人スポットライトを浴びながら左右の部隊の端から登場したの。まさか・・・。

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生命保険物語=第13話=

=第13話=  鬼面人事部長、現る!

 気まずい雰囲気から逃げ出すように、わたしは立った。
「済みません。わたし、子供のことがありますので。」
 最近は実家の母が子供の面倒を見てくれる。少々遅くなることは大丈夫だけど、こういう時の口実には子供をだしに使うのが無難。
「わかばさん、遅くまでごめんなさいね。」
 金満部長の声が飛んできた。気まずい雰囲気に変わりはないが、とってつけたように太鼓持支部長が立ち上がると、部屋の入り口まで来て、
「気を付けて帰ってね。明日からも頑張ろうね。」
 と、すかさず手を差し出してきた。腫れ物にさわるような態度だが、これが年輩の女性セールスには”受けが良いのよ”といつか強引さんが教えてくれたことがある。気遣い、なのだろうが、軽く握手したその手は妙にごつごつしていて力強さは感じられなかった。

 実は、わたしを平成生命に誘った強引さんの所属支部はこの太鼓持支部長の品川支部。となると、わたしもその支部の所属。つまり、わたしの契約はイコール太鼓持支部長の品川支部の挙績にも同時に反映される仕組みだったの。わたしが入社のころ、太鼓持支部長の姿はなかったのだけど、体を壊して入院していて、金満部長はその代役をやっていたの。
 だから、太鼓持支部長とは面と向かって話をしたこともないし、親近感は殆どなかった。でも何もしなくとも契約を挙げるセーヌセンターのわたしの存在は支部経営にすれば、棚からぼた餅ということになる。
 
 少し早足でお店を出ようとしたときカウンターのお客が立ち上がり、ぶつかりそうになった。
「済みません。」
 と、軽く会釈をして顔を上げると、ちょうど襟が目の前にあった。そこには、平成生命のさくらの花をかたどった胸章が目に入った。
 思わず、上目遣いに顔を見ると、鬼瓦みたいな大男が顔をくしゃくしゃにして立っていた。もちろん、その大男が平成生命の「人切り鬼瓦人事部長」だと言うことなどその時は知らなかった。
「大丈夫ですか?」

 なぜ、支社長があの場で黙り込んだのか、また職格を抜きにしても金満部長に周囲が気を使うのか、その時のわたしに分かろうはずがなかったけど、その影にこの鬼瓦人事部長がいたことを知ったのは、12月半ばに招待された奥日光の一流ホテルで行われた祝宴の時だったの。

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生命保険物語=第12話=

=第12話=  金満部長、怒る!

 少し鼻高になりかけたのを見透かされたかのように、
「まあ、無理強いは出来ないが、契約第1号のお祝いを1杯。」
 と言うと、支社長さんが強引にわたしの隣に座り込んできたの。こんなことは初めてで戸惑っていると、
「ささっ、わかばさん、支社長にお酌を。」
 一緒にきた白髪交じりの太鼓持支部長がわたしの前にとっくりを差し出す。

 でも、何か変。わたしの第1号契約の祝杯と言いながら、支社長へのお酌を私がする、これって!でも、その場の雰囲気でそのとっくりに手を伸ばした途端、

「支社長、逆でしょう。」
 なんと声の主は金満部長だった。
「アッ、いやァ、今そう言おうと思ってたとこだよ。」
 苦笑いをしながら、支社長はとっくりに手を伸ばすと、
「さあ、おめでとう。これからも頑張れよ。」
 うーん、こういうの、本当に困る。

 場を取りなすように、若井支部長が、
「でも、セーヌセンターのおかげで今月もどうにか目標を達成出来ましたよ。さすが金満部長」 と、お酒を注ごうとする。
「ところで、若井支部長、100%達成は良いけど、あれから”オチ”はないの?」
 どうも、金満部長絡み酒みたい。
「い、いやあ、そう言われると・・・。」
 キッ、とした視線を桜田支社長さんへ金満部長が向けたの。
「支社長、うちが達成率92%で今日の会議では怒られたけど、でも、今日は100%でも”成立”でうちより悪い支部が出てきたらどうします?」
 もう、雰囲気はすっかりダメ。会議の延長戦だけど、よほど金満部長、腹に据えかねていることがあるらしい。
「まあ、まあ、会議は会議。部長さんも機嫌を直して。」
 太鼓持支部長が、間を取りなしたつもりが、逆に金満部長に火を付ける結果に。
「そりゃあ、太鼓持支部長さんは良いですよ。あれだけの優秀な職員さんを抱えて、スタートからゴールまで毎月独走ですものね。」
 言葉に窮したように太鼓持支部長がうつむき加減に黙り込む。
 横にいる支社長を見ると、これも何か反論する風でもない。
 変な雰囲気。    

 普通の会社なら、支社長が一番偉いはず。その人が気まずそうに黙りこくる。一体、どうなってるの。酔いの少し回った頭で考え始めたけど、とても納得いく答えは見つけられそうにもなかった・・・。ただ、金満部長が支社長に対して何となく頼もしい存在に思えたのは新発見だったけど。そこから先がまったくみえないの。

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生命保険物語=第10話=

=第10話=  金満部長との対決!

「金満部長、お話が・・・。」
「あっ、ごめんなさい。ちょっと今手が離せないの。」
 誰も事務所にいないことを確かめて、書類に目を通している金満部長の席へ近づいたけど、相手にされない。 事務員さんと視線が会うと、口を真横文字に閉めて首を横に振る。
 何か余程都合が悪いらしい。
  
「昼間はごめんなさい。午後からの会議の資料作りで手が離せなかったの。」
 夕方そそくさと帰ってきた金満部長は、そう言って、夕食を一緒にと誘う。
 いつもなら7時頃までは騒々しい事務所もこの日は早々に静かになった。促されるように外へ出ると駅前の小料理屋へ行こうという。金満部長がこういうことは珍しい。研修期間中もわたしを含めた研修生を、ホテルの中の洒落た店に誘ったことはあったけど・・・。

「でっ、何かしら?」 
 駅前ビルの中にある「小料理美弥」は、小料理屋にしてはやや大きめの生け簀に2,30匹の魚が泳いでいた。威勢のいい「らっしゃい!」の声に和服姿の女将さんが「いらっしゃいませ」と丁寧におじきをする。金満部長と小声で話した後奥の小部屋に通された。

「部長さん、・・・」
 ここまで言って、瞬時口ごもってしまった。第1号契約のことを切り出したいのだがどう切り出せば良いかまとまらない。それに、今日の金満部長は何かしら元気がない。こんな時に、どう話をすればよいのか戸惑いで次の言葉が出てこない。それを察したかのように、
「アーァ、今日の会議は参ったわ。理想と現実の違いね。」
 ふうう、と深いため息をついて、わたしの目の前で初めて弱音を金満部長が吐いた。
「大変なんですねえ。部長さんともなると。」
「あーら、ごめんなさい。やはり数字が悪いとね、会議は針のむ・し・ろ」
と、いたずらっぽく、にやっと微笑む。
「実は、」
 と、ほとんど声は同時。二人でその偶然にお互い顔を見合わせ、含み笑い。これで何か吹っ切れた感じ。
「そうねえ。あのときも数字が悪くて。でもわかばさんの3,000万円に救われたわ。」
 セーヌセンターがいかにまだ募集力が弱い集団でも、保険契約のノルマはしっかりと決められているそうで、30名で今月は4億5000万円。そして前回会議の契約高は2億円弱だったところにわたしの3000万円が加算されてどうにか50%をクリアーできて会議での体面が保てたという。
 絡んでいた糸がわたしの頭の中で少し解きほぐされていくような・・・。

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生命保険物語=第9話=

=第9話=  契約第1号の裏側!
 

 「わかばさん、1件3,000万、おめでとう。」
品川の芝浦に建てられたばかりの20階建ての高層ビルのワンフロアーが、セーヌ研修センターのオフィス。そこに毎朝20代から30代の近隣の支部から選ばれたセーヌレディ30名ほどが集まる。朝礼は10時開始で30分ほど、ラジオ体操、社歌、成果発表、金満部長の話、事務連絡と毎日これが規則正しく繰り返される。

 保険契約の「申込書」を貰うと帰社と同時に事務所のホワイトボードに自分でその成果を書込む。今回の場合「ビッグ終身保険3,000万/500万・わかば」という具合。「ビッグ終身保険」は、平成生命の主力保険で「定期付き終身保険」の平成生命版なの。「3,000万円」は、病気死亡の場合の保険金額だけど、普通これにいろいろな特約を付加して「災害死亡では倍の6,000万円」に設計するのが当時のモデル設計。
 そして「500万は終身保険」の金額なので、3,000万円との差額2,500万円が掛け捨ての「定期保険」となるのだけど、後々、この「2,500万円」を巡ってトラブルが起きたけど、この時は保険商品の中身など分かるはずもなく、ただ金満部長に指示されたままの「転換の設計書」を作っただけだったの。

 もちろん、翌日の朝礼で「ビッグ終身3,000万・1件、わかば」と、自分で成果を発表するんだけど、すると全員の拍手が一斉に湧く仕組み。特に苦労した契約だと「体験談」をすることもあるの。

 わたしの場合もあの電話の翌日、申込書を頂いて帰社するとすぐに「良かったねえ。おめでとう。」と事務所にいた数人から祝福された。そして翌朝の朝礼で改めて成果と体験談を発表することになったの。でも何しろ入社初めての「契約第1号」は、何がなんだか分からない内に決まってしまったのがほんとで、急に体験談といわれても・・・。

 「と、とにかく部長さんの指示通り転換の設計書を作り、ご挨拶に何人かの方にそのプランをお薦めしたら、その内のお一人から電話を頂き、契約に・・・なりました。」
 詰まりながらも、ここまでようやく言い終えると、
 「保険には一杯入っている、という返事がお客様の決まり文句ですが、このようにまだまだお入りの保険の保障額に満足されていないお客様も沢山いらっしゃいます。皆さんも諦めずに自信を持ってどんどんアタックしてみましょう。この1件は、わかばさんが一生懸命に頑張ったからこそお客様も納得された成果です。本当におめでとう。わかばさん。」
 金満部長が後を継いで、歯が浮くような褒め言葉を頂戴して、何かこそばゆい感じ一杯で朝礼は終わったの。
 
 でも、保険の契約がそうも簡単に決まるものかという疑問が沸々と湧いてきたのは、ほんの偶然からだった。契約の保険証券が届いた頃を見計らって、東菱電機の契約者の方のところへ伺った時・・・!
「しかし、わかばさんは良い上司に仕えて幸せだねえ。」
 何のこともないようなこの一言が、保険契約第1号の裏側を知るきっかけになるとは。
「エエッー。おかげさまで私も有り難いと思っています。」
「そうだよねえ。あれだけの熱意がある上司なんて、そういないよ。」
「ね、ねつい、ですか?」
「だってさあ、あの日の翌日、家に来て女房を説得してんだもの。夜、一杯機嫌で帰ったら藪から棒に『あなた、保険に入って!』だからねえ。」
 まさに寝耳に水とはこのこと。

 金満部長が指示して設計書をわたしは作成したんだけど、その「見込み客」に金満部長は自宅を一人で訪問していたの。そりゃあわたしなんかが説明するより説得力はあるし、しかもこれも後で分かったことだけど、東菱電機の法人契約は金満部長が契約していたの。もし説明の節々に役員とも顔見知りということを臭わせれば、そりゃあ社員の奥さんは無下には断れない。
 そうか、そうだったんだ。

「いやあ、気を悪くしないで。あんな部下思いの上司なんてそういないよ。僕もそろそろ保険の見直しをしなきゃと思っていたんだ。」
 顔を曇らせたのを感じたのか、そう付け足したけど、何かもう・・・。    
 

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生命保険物語=第8話=

=第8話= 契約第1号! 嬉しくて涙が・・・

「お客様、このフェンディのピンク柄もお似合いだと思います。」
 これまでせいぜいウインドウショッピングしかできなかった銀座のお店の中。金満部長に誘われ買い物のお供で付いて来たんだけど、
「わかばさん、これ似合わない?」
と、わたしの襟にあてがったのは、エトロの細かい文様のパープルを基調にしたスカーフ。
「でも、こんな高価なものとても手がでません。」
「わかばさん、これね、契約第1号のお祝い。私も嬉しくて何かプレゼントしたかったの。」
 
 初期研修が終わり生命保険募集をするためのライセンスをとる試験に合格し、金満部長が室長になった「セーヌ研修センター第1期生」として勤務して10日ほどした頃、その吉報は舞い込んだの。

 朝礼がちょうど終わったころ、その電話が鳴り、
「わかばさん、この前の保険の件だけど、3,000万円のプランで手続きして欲しいんだけど。」
 一瞬、「えっ!」とこぼれるのをぐっと飲み込んで、
「分かりました。ありがとうございます。つきましては、手続きにお伺いしたいのですが、ご都合は?」
 なんてこと!つい3日ほど前、初めて職場訪問した東菱電機の社員の方からの契約申込だったの。その日、平成生命からの職場訪問の挨拶に金満部長に言われるがまま一緒に行き、既契約(既に平成生命に契約がある)のある何人かに事前に作製した設計書をお届けしていたんだけど、こうもあっさり契約が取れるとは!まさにビギナーズラック、かしら?

 既契約は独身時代に契約した500万円の養老保険。毎月1万円の保険料が契約からかれこれもう8年ほど給料から引き落とされている。それを「転換」すると、毎月4,000円ほど加算するだけで3,000万円の保険になる。しかも入院保障が1日5,000円から1万円になる。とにかく家族構成も生命保険に対する考え方も考慮しないかなり乱暴な「転換のお薦め」だったんだけど。
 
 しかも、手続きに訪問して分かったことは、最初の訪問の時けんもほろろにあしらわれた社員の方だったの。見るからに気むずかしい感じの文字通り”見込み度ゼロ”の雰囲気だったんだけど・・・。でもなぜ?
 そんな疑問を考える間もなく初めての申込書、診査、入金と手続きに追われ、申込から10日ほどで契約は成立したの。余りのあっけない1件に唖然としていたんだけど、申込書をまとめて金満部長に出したとき、
「わかばさん、おめでとう!」
と、両手でわたしの右手を強く握りしめてきたの。
 そして、壁の大きなグラフのまだ真っ白だった「わかば」と書かれた欄に丸いワッペンを貼り、3,000万のところまで赤いテープを貼ると、わたしを見つめ、
「良かったわねえ。」
 と、微笑んだのだけど何となくそのとき、金満部長の目頭がきらっと光った気がしたの。     
 
 その夜、みんなが寝静まったお風呂の中で、「わたし、自分で契約を取ったの!」と、じわじわとこみ上げてくる感動が襲ってきて・・・理由もわからない涙がポロポロとこぼれてきてしまった。
 でも、この契約がわたしのビギナーズラックでなかったことを後で知ることになるとは・・・!
 

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生命保険物語=第6話=

=第6話= こうやって口説かれた! 出来るかも知れない?!

 39階からのパノラマは、もう見ているだけで爽快。そーと深く息を吸う。同じ空気なんだけど生活臭のある我が家の空気とはぜんぜん質が違う。日本を動かす最先端にいるようなそんな錯覚に陥ってしまいそう。

「わかばさん、私いくつに見える?」
 おもむろに金満部長から出た言葉に、戸惑いと実際の年齢をいくつだろうと探しあぐねていると、
「まあ、確かに他の同年齢の女性よりは若く見える自信はあるけど、残念ながら毎年年齢は1歳ずつ増えていくのよね。」
 妙にしんみりした雰囲気に追い打ちを掛けるように、
「実はね、私55歳なの。」
 その55歳が何を意味するのか図りかねていると、
「平成生命では営業部長職は56歳が社内定年で、そこから本当の定年の60歳までは補助的な業務に配置換えさせられるのが暗黙のルールなの。」 
藪から棒にわたしには関係ない話しが切り出され、
「せいぜい私に残された時間は1年しかないの。自慢じゃないけどこれまで多くの営業員さんを育ててきた自負はあるの。でもね、女性がこれだけ進出している生保業界で女性の管理職を育てる努力は後回しにしてきちゃったのよね。」
 そして、昨日の「さくらスクール」の話しにはウソがあるという。
「実は私、離婚しているの。」
 もう、ここまで来ると何がなんだか分からなくなる。
 なぜ?なぜ?なぜ?
 
 たった2回しか会ったことのないわたしに、しかも昨日の今日。一体何を言おうとしているのか皆目見当もつかない。でも、妙に金満部長の話に引きずり込まれていくわたし。他人のプライバシーを覗きみたい野次馬心理もないとは言わないけど、その真剣な眼差しにわたしの心がすーと吸い込まれていくのが分かる。
 このときのことは20年以上経った今でもついこの前のように鮮明に覚えている。わずか2時間ですっかり金満部長の虜になったわたし。果たしてわたし一人を「増員」する目的の虚飾に飾られた演出だったのかあるいは本気で女性の管理職養成構想を考えていたのか、昨年ガンで亡くなった金満部長の口からついぞ聞くことはなかったけど。

 でもその真意がどこにあったとしても、今のわたしがあるのは金満部長との出会いがあったからで、もうここまで来たらどちらでもよいことで、一つ一つの人生の節目を演出されたかどうかを詮索することなど長い人生からすると殆ど無意味なのね。

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生命保険物語=第5話=+かわら版

=第5話= こうやって口説かれた、コーヒーの薫り!
 
「あらあ、わかばさん、お待ちしていましたわ。」
 金満部長が席を立って両手でわたしの手を強く握ってきた。
 握手なんて、主婦のわたしにはすごく新鮮で、妙に親しみを感じる。
 昨日は離れていたから気がつかなかったけどほのかにシャネル系の香りもする。
「実は、どうしてもあなたにはゆっくりお話がしたくて、無理をお願いしちゃったの。気を悪くしないでね。」 昨日の自信に満ちた近寄りがたい雰囲気とは一転して、妙に親しげにしかもやけに馴れ馴れしい。

「ここではなんだから、おいしいコーヒーでも飲みに行きましょう。」
 もう、すっかり金満部長の友達づきあいペース。しかもわたしが考え込むほどの余裕もないほど流れに淀みがない。
 平成生命ビルの1階に喫茶店があるのにそこには目もくれないでタクシーを止めた。
「品川のプライムホテルまで。」
 どうしてそんな高級ホテルにわざわざコーヒーを飲みに行くの?
 と訝るわたしなどにお構いなしに、一緒に強引さんもタクシーの前の席に乗りこんできた。その時のわたしはその馴れ馴れしさになんの疑問を抱くはずもなく、2時間後にはプライムホテルのラウンジで甘い夢を描くことになる・・・。

 39階の最上階にあるラウンジ・バーにはまだ午前中だというのに、ビジネスマンや恰幅の良い男性、それに外国人たちがピーンと張りつめた空気を醸しだし、殆ど満席。金満部長の姿を目にした蝶ネクタイの支配人とおぼしき男性が「お待ちしていました。こちらです。」と案内をする。予約を入れていたことは容易に想像できたが、実に場慣れしている金満部長の後ろ姿はわたしにはとてもまぶしい。

 やや奥まったグランドピアノを取り巻くボックス席に着くと、
「わかばさん、ここのコーヒーとケーキ、それにバームクーヘンおいしいのよ。それでいいかしら?」
「えっ?、えー」
 もう良いも悪いもない。すっかり金満部長ペースで、首を縦に振るしかない借りてきたネコ。
「それではいつものセット3つ。」
 コーヒー飲むのにこんなに丁寧な応対をされたことなどない。そもそも朝から超高層ビルでコーヒーやケーキなんて。体がすっぽり埋まるソファも痩身のわたしには落ち着かない。
 でも、この一流ホテルのコーヒーがわたしを安サラリーで汲々とする貧乏主婦から一転、見ず知らずの世界へ飛び出させるための演出だったとは。ずいぶん後で知ることになるんです。

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